2016/02/02

アルバム『舞踏へ、バニー』の取り組み〈2〉

「舞踏のための音楽プロジェクト」そのオリジナル・アルバム『舞踏へ、バニー』についての解説。続き。

前回、《仮想演劇》について書きました。今回のアルバムでは、まず《仮想演劇》としての舞踏(Butoh)を空間的にイメージし、それに音楽を付けていく、音楽を構想していく、ということを試みています。
しかし当初は、この舞踏というものが漠然とし過ぎていて、なかなかイメージすることができませんでした。かつて観たことのあるダンスの記憶をもとに、舞踏に関する資料を集め、ようやく朧気にイメージが湧いてきたのは昨年のことです。

その一つの大きなきっかけは、新聞の文芸欄の記事で『Rude World』という現代舞踏のニューヨーク公演が紹介され、身体パフォーマンスの自由さを知り、そういった身体パフォーマンスのカテゴリーを調べているうちに、Sasha Waltzというベルリンの女性アーティスト及びその集団のパフォーマンスに出会うことができました。これが私のイメージする舞踏にとても近いと思ったのです。

そして最終的には、《仮想演劇》=舞踏のモチーフを「人」「街」「踊り」に絞り、東京やパリ、ロンドン、モロッコの風景や物、人々、その喜怒哀楽などをモチーフにした舞踏をイメージ。ダンス・ミュージックのようなものから幾何学的な即興音楽、シンプルなラヴ・ソングまでを盛り込んだ、文字通り舞踏のための音楽アルバムを作る、ということになったわけです。

サウンド面では、もちろんできうる限り高音質のサウンドを作り出したいと考えていますが、実験的な試みもしてみるつもりです。日本の下駄を使ったリズム、タイプライター、ヴォーカルにおける面白い効果など。いろいろな音がアルバムの中に鏤められていくことでしょう。

2016/01/28

アルバム『舞踏へ、バニー』の取り組み〈1〉

長らく報告を怠っていました「舞踏のための音楽プロジェクト」そのオリジナル・アルバム『舞踏へ、バニー』について解説したいと思います。

プロジェクトは昨年4月より始動し、このブログで最初にお伝えしたのはその5月(当ブログ「舞踏のための音楽プロジェクト」参照)。その間に自己批判ショーさんの20周年記念水戸公演(2016年1月)で使用された楽曲のアレンジメント制作とか、同メンバー川辺健さんの曲「これぞ運命」のアレンジメント、そしてDodidn*の企画もの「OP-1を使ったサウンド・インスタレーション」の制作があり、相対的に「舞踏のための音楽プロジェクト」が進んでいないではないか、かなり遅れていると思われた方もいると思いますが、実はこの間のこれらの制作も、アルバム『舞踏へ、バニー』を作る理由と深い関連があるのです。

「舞踏のための音楽プロジェクト」の大枠のテーマは、《舞台演劇、それも原始的な身体表現としてのミニマムなダンスに、いかに音楽は存在しうるか。その音楽表現からいかに身体表現は変化し拡張するのか》です。もっと端的に言えば、私自身が、〈演劇のための音楽を作りたい〉ということです。

私が小劇団の役者をやっていた10代後半から20代にかけて(90年代)、劇伴を作ろうとも音楽的素養が稚拙なのと、それを作るための機材に乏しかったため、存分に劇伴を作ることができませんでした。また、劇伴という考え方自体も、どこかで間違っているのではないかという思いもありました。

もっと根底的なことで言えば、私が住んでいる地方の地元では、演劇というジャンルそのものがマイナー、むしろ蔑まれたジャンルであったし、中学校の演劇部の頃にはひどい差別を受けた経験があります。故に地元では、“自由な空間を創造できる”まともな劇場がない、演劇や音楽、絵画などの芸術的素地を高める施策が乏しいといった有様で、あの汚らしかった下北沢のザ・スズナリですら羨ましいと思えるほどでした。

そうした20代に、私は演劇から去ります。
しかし不思議なことに、今頃になってあの頃の痛恨の思いが甦り、もぎ取られた役者身体からではない、残された自身の音楽性の中から、演劇の在り方を見つめ直し、それに伴う音楽の在り方を見つめ直したいと思いました。

アルバム『舞踏へ、バニー』への取り組みは、まず《仮想演劇》の①舞台、②役者、③物語(戯曲)を創造(想像)することから始まりました。しかもそれは台詞劇ではない、身体のみに頼ったミームとダンスによるもの。つまりそこに10平方メートルにも満たない舞台空間があり、身体があり、音楽(音響)があり、照明があるというだけの小さな世界。時間にして60分程度の、仮想公演…。

これは後々、詳しく説明する機会があると思いますが、個人的な考え方として演劇の訓練というのは、原初的なミームとダンスから始めるべきです。
まずリアルな己の身体をよく観察し(鏡で全裸の自分の身体をよく観察すること!)、動態としての己の身体の動きを突き止め、それがどう表現されるかを研究することが大事だと思うのです。入りたての学生演劇人がいきなり、そのカテゴリーが当たり前だと思い込んでいる《台詞劇》のために発声練習を率先しておこなうのは、間違いです。少なくとも1年間は発声表現を封印し、“無言の”ミームとダンスのみの舞台を踏むべきなのです(台詞に頼らず、身体のみの表現を基礎とするため)。

私が企てた《仮想演劇》とは、その原初の基本的な演劇をイメージしたもので、もっと最小の――表現体としてこれ以上切り刻めない最小の――身体表現は何かと考えたところ、それが舞踏(Butoh)だったのです。

2016/01/05

「悲しみのバルテュス」新たな音像

 audio-technica ATH-R70x
Utaroが歌うオリジナル曲、11.13鎮魂歌「悲しみのバルテュス」を公開しています。

当ブログ前稿の「『悲しみのバルテュス』のリアリズム」ではミキシングについて書きましたが、そのミキシングについての補足とマスタリングについて今回書くことにします。

実は「悲しみのバルテュス」のミキシングから、オープン型リファレンスモデルのヘッドフォン、audio-technica ATH-R70xを導入して使っています。
私のヘッドフォンの使い方についてまず整理しておきますが、これまでレコーディングからマスタリングまで一貫してヘッドフォンはAKG K271MKIIを使用していました。もちろんモニタリングとしてはあくまで併用であり、モニター用のスピーカーはJBL MODEL 4312M IIです。

まずAKG K271MKIIについてですが、レコーディング用としては申し分なく、そのソース(あるいはその他のノイズ)を強調して聴き分けることができるので、録る上での聴感的な失敗がありません。
この流れを受けて、そのサウンドを聴き慣れているせいもあって、ミキシング以降もこのヘッドフォンを使用していたのですが、今年の夏、一つの問題にぶち当たりました。

それはミキシング以降におけるヌケとリミッティングの関係の問題で、それについては当ブログ「ダイナミック・レンジという魔物」「マスタリングで変わる空気感」で詳しく触れています。
結果的にこの問題を解決させたのが、audio-technica ATH-R70xです。すなわちAKG K271MKIIはあくまでレコーディング用であり、ミキシング以降のモニタリングをATH-R70xに換えることによって、音像の細緻に至るまで調整することが可能となりました。

ATH-R70xでのモニタリングは言わば、最適にチューニングされたスタジオ・ラージ・モニターで聴いている条件に近いのです。
今回の「悲しみのバルテュス」のピアノとヴォーカルのコンプレッションにおいては、あらかじめイメージしていた音像に近づけるべく、それぞれのアタック・タイムとリリース・タイムを好ましい位置に調整させるのに、ATH-R70xははっきりとその音の違いを露わにしてくれました。これははっきり言って、AKG K271MKIIではできなかった芸当です(もともとレコーディング用のヘッドフォンなので仕方ありません)。

OZONE 7でのリミッター設定
この細緻の調整によって、微妙なヌケの問題(EQをどの程度施すかという問題)がミキシングの段階で見事に解決され、ややたっぷりめの音像をマスタリングの段階でしっかりリミッティングするという連携が取れました。以前は、ミキシングの段階でソースのアタックの音像が精確ではなかったため、それがマスタリングでのリミッティングに課題を残す形となっていたのです。

私は古いタイプの人間なので、ヘッドフォンというのはスピーカーとは音像が違って聴こえるのだよ、という先入観があります。ただし、ATH-R70xに関しては、その先入観を捨ててミキシングすべきだと感じました。低域がどの周波数で出ているかの判断、中域のハリとコシ、高域の伸びの推移など、ヘッドフォンであるという意識を捨ててラージ・スピーカーで聴いているのだという感覚で調整をおこなうこと。ATH-R70xは大ベストセラーとなったSONY MDR-900STに匹敵するリファレンスモデルのブランドとなるかも知れません。

ということで「悲しみのバルテュス」の話がATH-R70xの話にすり替わってしまいましたが、この曲の完成には重要な役割を果たしたので、それは構わないと思います。

2015/12/30

「悲しみのバルテュス」のリアリズム

Pro Toolsミキサー画面
「悲しみのバルテュス」(Balthus de tristesse)のミキシングについて。

私が常々おこなっているミキシングのやり方は、きわめてシンプルな――あまり常軌を逸したやり方を好まない――やり方だと思うのですが、原則としてこれはレコーディング・フォーマットが32bit浮動小数点/96kHzだからであり、例えば24bit/48kHzでレコーディングをおこなったとするならば、同じシンプルでもまったく違ったやり方をすると思います。それくらい、レコーディング・フォーマットの選択は重要であり、経験則を蓄積する上でもそれを闇雲にころころ変えるのはお薦めできません。

「悲しみのバルテュス」そのものが、シンプルなミキシングを求めているという言い方もできます。いや、ミキシングに限らず、レコーディングにおいてもナチュラルなものを求めているとさえ思います。ここではヴォーカルに限定して話を進めます。

ヴォーカルに挿入したディエッサー
ヴォーカルにおける“パンチイン/アウト”というテクニックが、その最適なテイクとテイクをつなぐヴォーカルの基本的かつ有効なレコーディング手法でありながら、「悲しみのバルテュス」という何物かを飛び越えてしまった存在が、それを頑なに拒むというリアルな現場を、私は今回体験しました。尤も私は、こういう曲に出会ったならば、テイクは重ねるけれども、“中途で歌をパンチイン/アウトしない”ルールを採用する、そういう覚悟をもって挑みます。

このパンチイン/アウトを一切していない何回目かのテイクがOKテイクとなり、このトラックにまずプラグインのディエッサーを挿します。ディエッサーで歯擦音を軽減し、コンプ+EQをかまします(CLA-76+SLATE DIGITAL FG-N)。コンプではアタック・タイムに注意して、あまりアタックがもぐらない程度に微妙なさじ加減をし、ピアノの鳴りとのバランスを考慮します。FG-NのEQでは、無駄な低域を削ぎ落とし、高域を強調させ、ほんの少し明瞭度を上げるため7.2kHzをわずかにブーストして、生々しいヴォーカルを演出しました。

OXFORD REVERB
ヴォーカルにかかっているリバーブは、Sonnox OXFORD REVERBの「EMT 140 2.4sec」。音程が高いところに来た時だけ広がるように、かなりリバーブへのセンドを控えめに抑えています。

いずれにしても、「悲しみのバルテュス」はその楽曲の特性から、通常ヴォーカルに施されるような、エフェクトに加担したやり方が合いません。合わないというのは似合わない、否定する、拒む、といった意味で、最小限のエフェクトにとどめる他はありません。ヴォーカリストが楽曲に鍛えられる、教えられるというのはまさにこのことであり、この曲を歌うには、上っ面な歌唱力だけではどうにもならないのです。

こうした特性の曲に向き合う時、いつも思うことは、〈レコーディングやミキシングのテクニックなどくそ食らえだ〉ということ。それはもちろん、ヴォーカリストとしての気概のうちなのですが、人格の二面性としては、録られたパフォーマンスを客観的に判断して、サウンドを整えるという頭も必要であり、「悲しみのバルテュス」はこの2つのせめぎ合い、対決姿勢だとも受け取ることができるのです。

2015/12/24

「悲しみのバルテュス」のレコーディング〈2〉

ヴォーカルで使用したPeluso 22 47
「悲しみのバルテュス」(Balthus de tristesse)のヴォーカル・レコーディングを終えました。これですべてのパートのレコーディングを終えたことになります。

前回、レコーディングに関して書き損ねた部分があったので、まず補足します。
これまで外部音源の録りに関しては、16chアナログ・ミキサーのMackie 1604-VLZ3を経由してI/O(MOTU 828x)に入力していました。例えばOP-1などで打ち込んだ音源も1604-VLZ3を通していました。
これに倣って今年の中頃から、ソフトウェア音源に関してもI/Oから出力して一旦1604-VLZ3に通し、その出力をI/Oに戻す録り方にしました。

今回のピアノやパッド音も同様に、一旦アナログの1604-VLZ3に通すことによって、ピーク成分が少し甘めになり、音の粒立ちが耳に心地良くなっています。Pro Tools上のメーターでアナログ・ミキサーに通す前の音と通した後の音の立ち上がり方を比較しても、それは明らかに違っており、ピークが若干削げたのが分かります。32bit浮動小数点/96kHzのマルチ・トラック・レコーディングでは尚更、一旦アナログに通した方が分離と混合の具合が絶妙になり、ふくよかに聴こえます。

アナログ・ミキサーMackie 1604-VLZ3
さて、ヴォーカル・レコーディング。
今回使用したマイクロフォンはチューブタイプのPeluso 22 47。メロディ自体が歌い上げるスタイルのものではないので、かなり近接した状態で録りました。
828xのCueMix FXのコンプの設定でアタックをかなり遅くし、リリースを速くしてリップノイズを含んだ生々しいヴォーカルをとらえました。

Peluso 22 47はとても柔らかいサウンドになるので、先述したようなアナログ処理を施すやり方でピアノ音源を録らなければ、伴奏とヴォーカルの聴感上の関係はいびつなものになったでしょう。こうした音色の問題で本番でのパフォーマンスに支障がきたさないよう、事前の準備や検討は念入りにおこなわなければなりません。

2015/12/23

「悲しみのバルテュス」のレコーディング〈1〉

Pro Toolsで録られた伴奏のパート
Cubaseで先月打ち込んだ「悲しみのバルテュス」(Balthus de tristesse)のピアノ音源録りを先日終えました。
この曲の制作の経緯については、当ブログ「追悼から追憶へ―『悲しみのバルテュス』」をご参照下さい。

「悲しみのバルテュス」は2分半ほどの、ピアノを伴奏にしたとても静かな曲です。静かなというより、“静謐な”、という表現の方が当てはまると思います。私自身、なにかこの曲に触ることさえ緊張感の漂うような、そっとしておきたくなる雰囲気の曲なのです。

今月に入って、先月のプログラミングの段階で出来上がっていた、ピアノの伴奏とガイド用のメロディを確認し、ヴォーカルのリハーサルをしたところ、ややヴォーカルがその“静謐な”領域を飛び越えてしまう高音になるので、曲のキーを半音下げ、ロ長調に決めました。

Pianoteqでの擬似マイクの設定
煌びやかなパッド音で始まるこの曲は、ピアノの音像がヴォーカルを包み込むかたちになるのが理想と考え、今回のレコーディングにおいて、ピアノで使用したモデリング・ソフトウェア音源「MODARTT Pianoteq 5 Pro」での発音の微調整は、念入りにおこないました。
プリセット音源はD4(Steinway Dグランドピアノ)で、具体的な微調整としては、デフォルトの擬似マイクロフォンU87を、もっとレンジ感のある(プロのピアノ録りの選択肢では名高い)SCHOEPS CMC6 MK4に替えました。これは後日行われるヴォーカル録りでのマイクロフォンの音色のバランスを考慮してのことです。

パッド音で使用したRAZOR
パッド音は、REAKTORのRAZORです。たった1音にもかかわらず、この煌びやかなパッド音の効果によって、幻想的な世界を醸し出します。ただし、私はこの曲に関しては、幻想と現実との区別のつかない時間の流れをイメージしました。永遠なのかあるいはどこかで途切れてしまうのか、それすらも判然としない現在と未来とを結ぶ観念を音で表現するとき、あまり多くの音を必要としないだろう、と感じたのです。あくまでRAZORのパッド音は1音のみです。

こうして伴奏パートのレコーディングが終了し、あらためて自ら作詞した歌詞を眺めた瞬間、率直に私はこの歌詞をどう歌えばいいのか、もちろんありのままに感じるままに歌えばいいのだけれど、ここに歌を加えることにある種のおののきを覚えました。それくらい、私はこのなけなしの「悲しみのバルテュス」という曲に、重たいものを感じます。

2015/12/01

「Lumière」のイコライジング

OP-1を使ったサウンド・インスタレーション第8弾曲「Lumière」をアップしています。

この曲はホームページでの解説の通り、“映画の父”リュミエール兄弟の映画『ラ・シオタ駅への列車の到着』(L'arrivée d'un train en gare de La Ciotat)からインスパイアされたものです。機関車が駅に到着し、人々がざわざわと列車に乗り込む光景を、私の主観でサウンド化した、ということになります。

使用頻度が高いCLA-76
レコーディングからマスタリングまでのやり方はほぼこれまで通り。OP-1の2chのアウトプットを、まず828x(デジタルI/O)のCueMix FXのコンプで軽くたたいてPro Toolsで録音。ミキシングでは、その音をCLA-76でさらにコンプレッションし、API 550Bで耳に痛い8kHzを少し削る。

さて、ここからなのですが、最近私はWavesのPuigTec MEQ-5とPuigTec EQP1AのEQを好んで使うようになりました。
どう使うかということなんですが、そもそも私はこのチューブ・サウンドを模した2つのEQをほとんど使ってきませんでした。ブーストとカットを同時に施せるこの“奇妙な”EQをどう扱っていいのか分からなかったし、だいたい自分がなんでこれを所有していたのか覚えていなかったから。

中域用のPuigTec MEQ-5
ところがたまたま、あるヴォーカル曲のミキシングで、ヴォーカルとオケの質感のバランスを整えるために、オケだけのミックスをこの2つのEQに通したところ、たいへんガッツのあるディテールあるサウンドに変貌したのです。ヴォーカルの帯域にぶつかるオケの狭い帯域を、この2つのEQでカットしたら、とても良い結果が得られました。

ということで、今回のOP-1のサウンドも、PuigTec MEQ-5とPuigTec EQP1Aを通しています。オケのパートをすべて、別のステレオの1トラックにまとめておき、そこにこの2つのEQを挿します。今回のオケはOP-1のみで、それは既にAPI 550Bで処理を済ませているので、PuigTec MEQ-5とPuigTec EQP1Aはブーストもカットもせずただ通しただけです。それでもやはりサウンドにある種のディテールが加わります。

広帯域用のPuigTec EQP1A
補足すれば通常、ヴォーカルが加わった場合、どうしてもぶつかる周波数帯域が発生します。特にそれは中高域になりますが、そういう帯域をこの2つのEQでカットしたり、オケの出すぎたボトムをカットしたりとか、高域をブライトにしたりといったことが、ヴォーカルの質感を変えることなく可能になります。もちろん事前にヴォーカルの音色を決定しておくことが必要です。

リュミエール兄弟のような古いサイレント映画には、おそらく弁士や軽音楽の生演奏などが加わっていた、ということが想像できます。しかし『ラ・シオタ駅への列車の到着』などといった作品には、アップライトのピアノで軽妙なメロディが奏でられるより、それこそ機関車のような爆音こそがぴったりではなかろうか、ということを思います。

OP-1はなかなか、いろいろな想像力を掻き立ててくれるシンセです。