侘びの世界へ―Flower's Topology

アルバム『舞踏へ、バニー』の取り組み〈1〉

長らく報告を怠っていました「舞踏のための音楽プロジェクト」そのオリジナル・アルバム『舞踏へ、バニー』について解説したいと思います。

プロジェクトは昨年4月より始動し、このブログで最初にお伝えしたのはその5月(当ブログ「舞踏のための音楽プロジェクト」参照)。その間に自己批判ショーさんの20周年記念水戸公演(2016年1月)で使用された楽曲のアレンジメント制作とか、同メンバー川辺健さんの曲「これぞ運命」のアレンジメント、そしてDodidn*の企画もの「OP-1を使ったサウンド・インスタレーション」の制作があり、相対的に「舞踏のための音楽プロジェクト」が進んでいないではないか、かなり遅れていると思われた方もいると思いますが、実はこの間のこれらの制作も、アルバム『舞踏へ、バニー』を作る理由と深い関連があるのです。

「舞踏のための音楽プロジェクト」の大枠のテーマは、《舞台演劇、それも原始的な身体表現としてのミニマムなダンスに、いかに音楽は存在しうるか。その音楽表現からいかに身体表現は変化し拡張するのか》です。もっと端的に言えば、私自身が、〈演劇のための音楽を作りたい〉ということです。

私が小劇団の役者をやっていた10代後半から20代にかけて(90年代)、劇伴を作ろうとも音楽的素養が稚拙なのと、それを作るための機材に乏しかったため、存分に劇伴を作ることができませんでした。また、劇伴という考え方自体も、どこかで間違っているのではないかという思いもありました。

もっと根底的なことで言えば、私が住んでいる地方の地元では、演劇というジャンルそのものがマイナー、むしろ蔑まれたジャンルであったし、中学校の演劇部の頃にはひどい差別を受けた経験があります。故に地元では、“自由な空間を創造できる”まともな劇場がない、演劇や音楽、絵画などの芸術的素地を高める施策が乏しいといった有様で、あの汚らしかった下北沢のザ・スズナリですら羨ましいと思えるほどでした。

そうした20代に、私は演劇から去ります。
しかし不思議なことに、今頃になってあの頃の痛恨の思いが甦り、もぎ取られた役者身体からではない、残された自身の音楽性の中から、演劇の在り方を見つめ直し、それに伴う音楽の在り方を見つめ直したいと思いました。

アルバム『舞踏へ、バニー』への取り組みは、まず《仮想演劇》の①舞台、②役者、③物語(戯曲)を創造(想像)することから始まりました。しかもそれは台詞劇ではない、身体のみに頼ったミームとダンスによるもの。つまりそこに10平方メートルにも満たない舞台空間があり、身体があり、音楽(音響)があり、照明があるというだけの小さな世界。時間にして60分程度の、仮想公演…。

これは後々、詳しく説明する機会があると思いますが、個人的な考え方として演劇の訓練というのは、原初的なミームとダンスから始めるべきです。
まずリアルな己の身体をよく観察し(鏡で全裸の自分の身体をよく観察すること!)、動態としての己の身体の動きを突き止め、それがどう表現されるかを研究することが大事だと思うのです。入りたての学生演劇人がいきなり、そのカテゴリーが当たり前だと思い込んでいる《台詞劇》のために発声練習を率先しておこなうのは、間違いです。少なくとも1年間は発声表現を封印し、“無言の”ミームとダンスのみの舞台を踏むべきなのです(台詞に頼らず、身体のみの表現を基礎とするため)。

私が企てた《仮想演劇》とは、その原初の基本的な演劇をイメージしたもので、もっと最小の――表現体としてこれ以上切り刻めない最小の――身体表現は何かと考えたところ、それが舞踏(Butoh)だったのです。

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